時間が経てば人も
久々な人たちに会って,数年間の時間の流れを感じた。
昔は同じ釜の飯を食っていた気の知れた間柄では,長い間会っていなければこれまでの話やこれからの話など積もる話題もあるけれど,その中でもあいつは変わったよ,いや全く変わってない,などと色んな気持ちが湧いてくるものだな,と思った。
歳を重ねると,性格の根本が変わることは決してないと言うが,纏う雰囲気だとかは,普段身を置いている生活がお互いに違えば当然異なり,たまの機会で再会した一瞬の時間では,違う雰囲気同士感じるものが違うこともあるだろう。
お互いの近況の中で何が良いだの悪いだの甲乙つける時間にする訳じゃなく,何かその以前との変化を違和感としては捉えず,今はこんな雰囲気なんだね,と包み込める心持ちを持てれば,と思った。
時間が経てばあらゆる方向に経験値も増えていき,思うこと感じることも変わればその人自身も変わっていく。仙人みたいにずっしりと腰を据えて受け入れられるようになりたい。
翻って,自分はどう見られているのか,世間体を取り繕う訳ではなく,気にする訳でもなく(とても難しい),外に対してどんな見られ方をされているのか,されたいのか,相手の捉え方と同じように何か年末にでも考えてみようと思った。せめて,今やっていることを楽しんで過ごしている,そんなふうに見られていれば嬉しい。
今年は気付けばGWもお盆も暗黙の空気感ですっ飛ばされ,年末が近づいている。何かあったか挙げられなくとも何が無かったかはいくらでも挙がってくる,先になればそんな1年と記憶しているだろう。
コロナの時期に入る前と後で,遠方の人たちと会う機会が変化したかと言えば,誤差程度なんだと思うが,そういった話が沸くようなきっかけとなる旅行や帰省といった数々は余り取り沙汰されずに影を潜めてしまっているように思う。
テレワークで仕事に関することは家からでき,エンタメも家で観れる。ゲームもオンラインでリアルタイムで誰かと同時に進めることが可能になった中で,直接会って話すような,何か基礎的なところが春以降どこかへすっ飛んでしまっていることを,半年経ってようやく実感してしまった気がする。
何か足りないと言うのは,多くの人が感じているであろうし,自分が悲劇の登場人物なわけではないが,コロナによって何か失ったもの,あるいは元々無かったが無いと気付いたもの,このまま先もずっと持たずに過ごすのは,ちょっと気が進まない。
人と会うのは,改めて素晴らしいと思い,そんな日々をまた手にしていこうと感じた。