音楽とともに

日々のことを記録として。時々備忘録を兼ねて。

未来には

とてもくだらないことだけれど,化石に恐竜の足跡や糞があることに,遠い遠い将来,人間の足跡も化石になるんだろうかと小学生ながら思ったことが過去にあった。

もう少し短い期間で考えると,大昔の日本人が食べて捨てた大量の貝殻がそのまま遺跡になっている。どこかの誰かがポイ捨てしたペットボトルが,煙草が,いつか当時の文明を思う出土品になるのだろうか。

歴史上の重要人物や文化人が書いた手紙や書は,重文にもなっていたりする。

世界遺産や地域地域に根付く文化のようなものは,まさにそれらが出来たばかりの頃はどんな立ち位置だったのだろう。
世界文化遺産だとか無形文化遺産のようなものは,何世代かで狙って,しっかりと文化のような感じで根付かせれば,きっと登録されるだろうと思う。発足の目的が"文化遺産に登録されること"であると,ありがたみもへったくれもないが,数世代経てばきっかけは忘れられ,運が良ければ何か文化的なものだけが残っているかもしれない。

現代美術を守り育てていく重要性について,過去にこんな話を聞いたことがある。
"現代美術もしくは進行形の美術は,今の時代に生きるもの。いずれ過去となる今の表現として,将来振り返られるものとなる。その美術を現在から見た過去の芸術と比べて優劣をつけ育まずにいると,将来振り返った時に今のこの時代は空白の時になり,未来への橋渡しのような表現手法の貢献も何もなくなってしまう。"
文章自体は全くオリジナルではないけれど,文旨はこういった内容。
あの頃は良かったけれど今はダメ。という考えだけでは,将来的に頭打ちになるんだと大いに納得させられた記憶がある。

自身が芸術に何か関心があるのかというと,全くの素人であるが,他の物事にも共通する精神なんだと思う。

綺麗事かもしれないけれど,過去のものにはその当時の背景や技術の限界があったことを分かったうえで,今に全くそぐわないものは排斥されることもあるだろうが,リスペクトをもって,ある種その土台に乗っかってすすんで行くマインドが大切だと思った。今の仕事ではとても大切なことである。


もうすぐと言われて全く届かない支給の布マスク。使わずに取っていたら,何十年か後のお宝鑑定団で出品されているかもしれない。
確かに当時の政府が配付したマスクです。100円