音楽とともに

日々のことを記録として。時々備忘録を兼ねて。

ジョンレノンのクリスマス

ここ最近,どこへ向けるでもなく更新していますが,何か解決するわけでもなく,ただ数KBのテキストにしているだけです。

 

12月に入って,序盤で頻繁に耳にしていたのが,ジョンレノンのクリスマスソング

https://youtu.be/flA5ndOyZbI

 

ベトナム戦争の頃だそうで,すでに半世紀前。昔の文書なんかを見る機会もあったりで,特別古く褪せた感じを抱くことはないが,それはBeatlesといつロックのフォーマットを作ったような人の歌だからだろうか。

海外のクリスマスは,日本とは少し毛色が異なり,より家族と過ごす日で,文化によってはすぐ先の年末年始よりずっと大切。と聞いたことがある。

そういったところから,merry christmas and happy new yearと並べて言われるのだろうか。

日本だと年末年始はより神社お寺の流れの色があるので,あまり一緒に並べて言われる歌を聞いた経験がない。

 

50年前といっても,個人的に今年になって初めて耳にした曲で,ずっとWhamやマライア・キャリーばかり流れていた例年とは少し違って新鮮であった。

歌詞の中で,争いをやめ平和を願う色が濃く出ていて,そういった時代背景は今も当てはまる部分が多くあるが,それを差し置いても,さすがジョンレノンだな,という雰囲気をとても感じた。

 

 

時間が経てば人も

  久々な人たちに会って,数年間の時間の流れを感じた。

  昔は同じ釜の飯を食っていた気の知れた間柄では,長い間会っていなければこれまでの話やこれからの話など積もる話題もあるけれど,その中でもあいつは変わったよ,いや全く変わってない,などと色んな気持ちが湧いてくるものだな,と思った。

  歳を重ねると,性格の根本が変わることは決してないと言うが,纏う雰囲気だとかは,普段身を置いている生活がお互いに違えば当然異なり,たまの機会で再会した一瞬の時間では,違う雰囲気同士感じるものが違うこともあるだろう。

  お互いの近況の中で何が良いだの悪いだの甲乙つける時間にする訳じゃなく,何かその以前との変化を違和感としては捉えず,今はこんな雰囲気なんだね,と包み込める心持ちを持てれば,と思った。

  時間が経てばあらゆる方向に経験値も増えていき,思うこと感じることも変わればその人自身も変わっていく。仙人みたいにずっしりと腰を据えて受け入れられるようになりたい。

  翻って,自分はどう見られているのか,世間体を取り繕う訳ではなく,気にする訳でもなく(とても難しい),外に対してどんな見られ方をされているのか,されたいのか,相手の捉え方と同じように何か年末にでも考えてみようと思った。せめて,今やっていることを楽しんで過ごしている,そんなふうに見られていれば嬉しい。

 

  今年は気付けばGWもお盆も暗黙の空気感ですっ飛ばされ,年末が近づいている。何かあったか挙げられなくとも何が無かったかはいくらでも挙がってくる,先になればそんな1年と記憶しているだろう。

  コロナの時期に入る前と後で,遠方の人たちと会う機会が変化したかと言えば,誤差程度なんだと思うが,そういった話が沸くようなきっかけとなる旅行や帰省といった数々は余り取り沙汰されずに影を潜めてしまっているように思う。

  テレワークで仕事に関することは家からでき,エンタメも家で観れる。ゲームもオンラインでリアルタイムで誰かと同時に進めることが可能になった中で,直接会って話すような,何か基礎的なところが春以降どこかへすっ飛んでしまっていることを,半年経ってようやく実感してしまった気がする。

  何か足りないと言うのは,多くの人が感じているであろうし,自分が悲劇の登場人物なわけではないが,コロナによって何か失ったもの,あるいは元々無かったが無いと気付いたもの,このまま先もずっと持たずに過ごすのは,ちょっと気が進まない。

  人と会うのは,改めて素晴らしいと思い,そんな日々をまた手にしていこうと感じた。

 

 

 

月へ,火星へ。

SpaceX社が飛ばすスペースシャトル?と呼んでいいのだろうか,ロケットにNASAの宇宙飛行士が乗って宇宙へ行く。
一昨日あいにく延期となった打ち上げに絡めて,初めて月を足掛かりに火星へ人をある程度定住させる計画の一端を知った。

月や火星に行く大前提にある理由はいろいろとあるだろうが,宇宙船と衛生,あらゆる技術を駆使してサステナブルな技術連携のスキームを組み,実際に人が滞在する。
人類の生存環境を広める取組みに,パトロンになることは到底できないけれど,ワクワクする気持ちでいっぱいになった。

火星の大気から帰還用の燃料を作ったり,現地の材料で3Dプリントの塩梅で構造物を作っていく…

ガンダムではいきなり数十億人が亡くなる反乱から物語が始まるが,コロニーが建設されるずーっと手前の取り組みが,何かしら始まっている感じがした。

未来には

とてもくだらないことだけれど,化石に恐竜の足跡や糞があることに,遠い遠い将来,人間の足跡も化石になるんだろうかと小学生ながら思ったことが過去にあった。

もう少し短い期間で考えると,大昔の日本人が食べて捨てた大量の貝殻がそのまま遺跡になっている。どこかの誰かがポイ捨てしたペットボトルが,煙草が,いつか当時の文明を思う出土品になるのだろうか。

歴史上の重要人物や文化人が書いた手紙や書は,重文にもなっていたりする。

世界遺産や地域地域に根付く文化のようなものは,まさにそれらが出来たばかりの頃はどんな立ち位置だったのだろう。
世界文化遺産だとか無形文化遺産のようなものは,何世代かで狙って,しっかりと文化のような感じで根付かせれば,きっと登録されるだろうと思う。発足の目的が"文化遺産に登録されること"であると,ありがたみもへったくれもないが,数世代経てばきっかけは忘れられ,運が良ければ何か文化的なものだけが残っているかもしれない。

現代美術を守り育てていく重要性について,過去にこんな話を聞いたことがある。
"現代美術もしくは進行形の美術は,今の時代に生きるもの。いずれ過去となる今の表現として,将来振り返られるものとなる。その美術を現在から見た過去の芸術と比べて優劣をつけ育まずにいると,将来振り返った時に今のこの時代は空白の時になり,未来への橋渡しのような表現手法の貢献も何もなくなってしまう。"
文章自体は全くオリジナルではないけれど,文旨はこういった内容。
あの頃は良かったけれど今はダメ。という考えだけでは,将来的に頭打ちになるんだと大いに納得させられた記憶がある。

自身が芸術に何か関心があるのかというと,全くの素人であるが,他の物事にも共通する精神なんだと思う。

綺麗事かもしれないけれど,過去のものにはその当時の背景や技術の限界があったことを分かったうえで,今に全くそぐわないものは排斥されることもあるだろうが,リスペクトをもって,ある種その土台に乗っかってすすんで行くマインドが大切だと思った。今の仕事ではとても大切なことである。


もうすぐと言われて全く届かない支給の布マスク。使わずに取っていたら,何十年か後のお宝鑑定団で出品されているかもしれない。
確かに当時の政府が配付したマスクです。100円

政治思想がなんだとか

 COVID-19がパンデミックを起こしてから,どこの国が上手く対処できているだとかどこの国が手本になる等,メディアで取り上げられたり自分の生活範囲においてもそんな議論を聞くことが増えてきた。

 これまで経済や政治思想に関するちゃんとした高校以上の教育は受けていないので,どこまでいっても専門家にはなれないが,SNSなどで簡単に騙されてしまわない程度には自分としての意見を持つことは大切だと思う。

 社会主義や強大な権力の支配下にある民主主義がある国では暮らしていないから,今回COVID-19に対してどこが正しく取り組めているのかは良く分からない。強面のボスに見張られていたら,それは外に出ないし,逆に何もなければ悪い意味でも自制はなくなる。後者の自由を守るために,という日本なりの対応なのだとずっと考えて接することのある外国人にもそんな噛み砕いた説明をしていたが,そんな大袈裟な旗のもとで戦っているのではなさそうな気がしている。

 ”要請”と”強制or命令”,効力が全く違うけれど,最終的にはお互いに見張りあい,なんとも息苦しい空気感も漂っていると感じる。

 

誰かが世界がお互いの議論の上に足並みを揃えて,一様な対策を講じていかなければならない,と示していた。出典は忘れてしまったが,納得である。

 今回の件で,1月くらいの間で世界中に広まってしまう病気であることが明らかになったし,それだけ人が世界中で往来していることが可視化されて伝わってくる例である。一様に共通認識を持たなければ,またどこかから世界中に運ばれ,ぶりかえす。

 

 コロナウィルスをきっかけに,もう元の世界には戻れない,という話も聞くようになった。経済がしばらく沈んでしまうこと,人との距離を取る物理的な環境,どんな世界になるのかは再開後の想像がまだ思い浮かんでこない。長く時間が掛かってもまた笑って居酒屋でビールが飲めればと願っている。一方で,思想や政治の流れはどうなるのだろうか。トランプ大統領が当選した数年前にポピュリズムという言葉を自分自身初めて知った。明確に誰が該当するのかはよく分からないが,概念として万人に分かりやすいスローガンで支持を集めていく,というように解釈している。

 先日のNHKを見て,ヒトラーもその一例として捉えられ,最近生まれた概念では決してないことを知った。今回のパンデミックに対して,様々な国の対応策が甲乙として評価されるだろうし,今後検証されていくことと思う。その中で,1つの対応策から飛躍して根本の信条みたいな部分まで根こそぎ植え替えられてしまうことはないか。一抹の不安がある。元の世界には戻れないなら,すべて新しく塗り替えてしまおうという勢いがついたとき,どこへ向かうのか。今一度自分なりに意見を持つことは大切なのだと思う。

 一方で,アフターコロナだとかWithコロナと言われる今後の中で,同じような経済の仕組みで改めて立ち直っていく。そんなふうに動き出している人たちや考えている人がいることも最近分かった。

 何を聞いても,自分には答えは分からない。働き方は変わっても似た枠組みで動いていけば,何か手を動かすことはできる。考え方が~と言っているとしばらく机に突っ伏すことになるかもしれない。

 

 とりあえずは,罹らないようにしばらく辛抱する。